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マルメ城には語るべき多くの物語があります。国王や王妃、王子や王女、貴族やその夫人、金細工職人、囚人、兵士、亡命者など、さまざまな人々がここで暮らしていました。
1397年に北欧の王国はポメラニア公エーリクによって支配されました。彼は女王マルグレーテ1世の甥です。マルグレーテはカルマル同盟の実質的な女王とされ、このカルマル同盟はスウェーデン、ノルウェー、デンマーク、さらには、アイスランド、グリーンランドまで達する、歴史ある、北欧最大の王国同盟でした。マルグレーテは一人息子オーロフを失い、その後エーリクを後継者とします。まるで運命が待ち受けていたかのように、その後エーリクは国王となり、彼女の素晴らしい功績を引き継ぐであろうと考えられていました。ポメラニア公エーリクは、マルメに大きな変革をもたらします。1434年に、エーリクは、マルメ城を築城。その後、現在のマルメの旗にも使用されているワシとライオンの紋章を考案します。彼は海岸に沿ってドロットニングトーゲットまで延びる、小さなドアのある壁を建設しました。他の土地からやって来た商人に関税を課し、これがマルメに安定した経済をもたらします。
エーリク国王の政策はマルメにとって非常に実り多いものでしたが、長期間に渡る彼の政治的権力はやがて衰退し、ついに1439年、バイエルンのクリストファーによって王位を奪われました。クリストファーはお城を造幣局・貨幣を鋳造する場所へと変えます。1444年から1536年の約100年間、デンマークのお金は全てマルメで発行されました。貨幣の鋳造により政治的権力が与えられ、これがマルメを重要な都市へと発展させる事となります。
16世紀はお城の全盛期でした。デンマークの王族はそこに住み、デンマークの君主制の伝統として、一人目の息子はクリスチャンもしくはフレデリックと名付けられます。今日でも、デンマークの王子フレデリックの息子はクリスチャンと呼ばれています。
1658年、ロスキレ条約により、デンマークはスコーネをスウェーデンに割譲し、その年は、スウェーデンにとって重要な年となりました。この権力の転換は、スウェーデンとデンマークの間に不安な時期をもたらします。スウェーデンは、攻撃に備え、城の周りに要塞を築きました。危機感が弱まると共に、お城への関心も薄れていきました。やがて城は衰退期に入り、最終的には穀物や武器を格納するための倉庫として使用されます。そして1828年、マルメ刑務所として引き継がれます。かつてはデンマーク王室として利用されたこのお城に、最大1000人が投獄されたとされています。 この刑務所は1909年に閉鎖されました。
この古い刑務所を改装するという最初の提案がされたのは1923年の事です。そして建築のコンテストが行われました。建築家カール・アクセル・ストルツがこのコンテストに勝利した事で、刑務所の監房は取り壊され、最先端の博物館となりました。 マルメ博物館は1937年に大ファンファーレと共にオープンしました。
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